「人に寄り添う」ということの難しさ

体の具合が悪くなって歩くのもひと苦労する状態になってみて、特に身にしみるようになってきたのだが、人の気持ちを汲んでとか人の身になって考えるという行為は、わかってはいたけれども中々難しいものである。

道を歩いていれば、いまの自分はかなりいわゆる交通弱者のしかも歩行の覚束ない最弱的ポジションなのだが、こうなってみなけりゃ歩行者保護とか、身を持って感じる事は難しく、ついつい自分のその時の目線でしか実行できないような物だと実感する。

今更なんだが、「僕は君じゃないんで分からん」と言うのは当然なんだけれども、分かり合う努力というのを放棄してしまうのはまずい気がする。

戦争の発端もそんなものだろう。(いや、そんな単純な問題ではないだろうけど)